ねるふスコップ少女(注意:暴力シーンあり) |
赤い液体の中で私は目を覚ました。 寝起き特有のはっきりしない頭で周囲をぼんやり見回すと、私と同じ顔をした少女たちがふらふらと浮遊していた。そこでようやく意識がはっきりして、驚きに目を見開いた。 別に同じ顔をしている少女に驚いたわけではない。自分が今こうして存在していること、これが本当はありえないことだから自失したのだ。 あのとき。私は組織の上司の命令には従わず、一人の少年の願いをかなえることを選択した。私の魂の中にあった僅かな残滓。生まれたばかりの私にとって、それくらいしか心の拠り所がなかったから、躊躇せずにリリスへと還りあの少年の元へと向かった。 儀式を行い、少年の願いどおりになる予定だった世界は、だけど、たった二人の少年少女だけを残して赤い海に溶けたままだった。たった一人を除いて他人は復活することなく、少年は絶望し、イブとなった少女と理解し合うこともできなかった。どこまでも赤い世界で魂だけの存在になっていた私は、自身が消え行くのを感じながら、彼が孤独な背中を向けて彼女から離れて行くのをただじっと見ていた。 私の魂はあの後消えたはずだった。こうして存在しているのはとても不思議だが、ずっとここにいてもしかたがない。ただぷかぷか浮かんでいるだけの少女たちを掻き分け赤い液体の入った巨大な水槽から這い出て、途端に感じるようになった重力に逆らい地面の上に立つと、さっきまで自分がいたところを振り返る。薄い笑みを浮かべて無目的に漂っている私たち。私が死んだ後、魂が転生する肉の器。 ふと、疑問が頭によぎった。 彼女たちは嫉妬に狂った一人の女性によって、みな破壊されたのではなかったのか。少なくても私が前回見たときは、ここには液体と残骸があるだけだったと思う。 水槽の制御装置を操作し、履歴を出そうとしたときに思わぬ事実を知った。 ――時間が戻っている。 画面に表示された日時は、あの最後のときから一年近く前であることを主張していた。時間をさかのぼる、などということが本当に起こるのかは分からない。けれど、今が一年前であるならばガラスを隔ててこちらを見ている彼女たちが無事であるのを説明できる。このときにはまだ壊されていないのだから当たり前だ。別の世界を造って攻撃してくるような敵が存在していることを考えると、時間が巻き戻ることくらい十分起こりえそうだ。 少しの間私が考え込んでいると、通路から足音が響いてきた。 とっさに近くの物陰に隠れる。ここを工事していたときの物置だったらしい、いろんな道具が雑然と置かれている隙間に身を隠した。 通路から現れた人物は、私がよく知っている人だった。この場所へ来れる者はごく限られていて、彼らは全員ネルフの重要人物なのだから当然といえば当然だが。その中でも一番偉い立場である今来訪した人間は、空の器の泳いでいる水槽の前に立ち止まり、赤い色眼鏡越しに彼女たちを見上げた。彼の横顔を見た私に、突然激しい感情が沸き起こった。 私を造り、以前の私たちを育てた人。 以前の私にとっては絆だった人。 あの少年の父親。 私の上司。 自分の目的のために私を道具として使う人。 私にアダムを埋め込んだ人。 ――ぐしゃ。 気がついたときには隠れ場所に落ちていたスコップを両手で握り締め、件の男の頭目掛け遠心力をいっぱいに乗せたスイングで左上段から叩きつけていた。腕に確かな反動が返ってきて、目標を間違いなく仕留めた手応えがあった。男から流れ出た血が、埃の積もった床を濡らす。即死したようで、うめき声ひとつ発さない。 ぴちゃぴちゃ音を鳴らしながら、吹き飛ばした男のところまで歩く。腹の下を蹴って、死体を仰向けにする。 瞬間的に沸いた殺意に従いこの男を殺したが、今こうして冷静な頭で、以前の私にとって絆だったという彼の成れの果てである肉塊を見ても、何の感情も起こらない。『二人目』のこの男を慕う想いは受け継がなかったらしい。やはり私にとって大事だと思えるのは、あの少年のことだけみたいだ。一度ひとつになったことで、さらにその傾向は強まっている。早く会いたいと胸が騒ぐ。 だが、この男の死体をそのままにしておくのはかなりまずい。この場所に入れる者は限られているし、おそらく毛や指紋などで犯人が『綾波レイ』だとすぐに知れるだろう。今別の場所にいるこの時間の綾波レイはアリバイがあるだろうから、イレギュラーの発生もすぐにばれる。そうなると私は『碇司令を殺した綾波レイの偽者』として捕縛あるいは射殺される。それでは碇君とひとつになれない。 幸い私は証拠を隠滅する手っ取り早い手段を知っている。 ドグマを爆破する自爆装置があるのだ。それを使った後、『二人目の綾波レイ』を殺して成り代わればずっと碇君の近くにいられる。 早速装置を起動しようと制御盤に向かいかけて、やっぱりちょっと考え直すことにした。 『私』が生まれてからずっと、碇君は私を怖がっていた。その理由は私がヒトでないからだ。自分と違うものを恐れ遠ざけるのはヒトの習性なのでしょうがないとはいえ、私は碇君ともっと近くで触れ合っていたい。肉体的にも精神的にも。そのために必要なこと。私がヒトになることも、碇君が私と同じ存在になることもできないけど、私がヒトでないことを隠すのはできる。私の正体を知っているのはごく一部の人だけで、その人たちしかここには入れない。 この場所で異常があったのに気づいてやってきた彼らを皆殺しにすれば、私の秘密は私だけのものになる。碇君に伝わることはないので、彼が私を怖がる必要もなくなる。 再び物陰に隠れてしばらくすると、次は金髪の女性が通路から現れた。 「まさか、こんなところで人形相手にやってるんじゃないでしょうね。もしそうなら、私にだってかんg『ぐしゃ』」 またもや楽な仕事だった。気づかれないように気配を消して背後から近づき、渾身の力を込めてスイング。まさに一撃必殺を地でいった攻撃だった。これで残る目標は二人。副司令と諜報部の部長だけだ。次に来る相手に警戒されないよう、女の死体を部屋の隅へ寄せ、先に動かした男の死体と重ねておいた。 「後はここくらいだが……。碇も赤木君も急にいなくなっていったいどうしたというのだ」 「副司令、お気をつけ下さい。何かあったのかもしれません」 「ああ、わかっている」 今度は二人で来たようだ。白髪を生やした老人と、黒のスーツに身を包み鉄砲を構え辺りを警戒する大男。彼らを殺せばとりあえずドグマから出られる。だが、複数の男を相手に、しかもうち一人が戦闘のプロとあっては今までのように簡単にはいかないだろう。どうやら本気を出さなければならないようだ。 息を潜めてじっとしていると、やがて二人は近くへと歩いてきた。しかも都合がいいことに、大男から私への射線上に副司令がいる。私は地面を蹴って、全力で二人に向かって駆ける。 すぐに気づいた大男が私を撃とうとするが、副司令を巻き込まないよう角度を変えるたために一瞬発砲が遅れる。――その時間で十分だった。軍事教練で教わった技術を遺憾なく披露する。 石川流円匙格闘術いの五番(いしかわりゅうえんぴかくとうじゅついのごばん)、土竜突き。 右足で強く踏み込み、右手に持ったスコップを前へと突き出す。走ってきた勢いを全てスコップへ伝えて前方への力に変える。ものすごい勢いで迫るスコップの先端を見つめながら、副司令の頭は胴体から離れた。力を如何に上手く自分の望むように伝えるか。数え切れないくらいやった反復練習で体が覚えている。スコップの突きで首を切ることなど朝飯前だ。 円匙格闘術とは、古くは豊臣秀吉が行った刀狩に端を発するらしい。私に格闘技を教えてくれた人が言うには、刀狩によって武器をもてなくなった農民たちが一揆を起こすときのために磨いた技術だとか。だんだんと洗練されつつ受け継がれ、近代戦争でも大きな戦果を挙げるに至った実践的な格闘術だ。 副司令の首が千切れるところを見ても全く動揺することなく、大男は私に向けて引き金を引く。銃口から射線を読んで、当たらないように高速で動く。同時にスコップの先を地面へ擦れるくらいまで下げる。次の技を使うための準備動作だ。ブレード部分に何か当たったのを感じると、視線を大男から外さないまま奥義を放つ。 石川流円匙格闘術はの三番、土塊弾。 それをブレードに乗っけて落とさないようにしながらも動きは止めず、相手の弾を避けつつ下段から大男に向かい勢いよく振り上げて、それ――副司令の頭部――を撃ち放つ。 達人になると気を使うことで弾を遥かに速くすることができ、高度一万メートルを飛ぶB-29をこの技で撃ち落した記録もるらしいが、私にはそこまでの技術はない。それでも狙い通り、大男の腕に当たり拳銃を遠くへ弾き飛ばす。 ほんの刹那、大男の意識が私から拳銃へと移る。 ――致命的なミスだ。 私は冷笑を浮かべてスコップで首を薙ぎ払った。切断こそできなかったものの、確実に首の骨を折った。 これでやっととりあえずの目的は達成した。やるべきことを成し遂げた満足感があった。こういうのを晴れ渡った気分とでもいうのだろうか。 ドグマに置いてあった予備の服に着替え、自爆装置をセットし、記録に残ったり誰かに会ったりしないよう非常用通路を通り、外へと出る。地面のずっと下の方で起きた爆発の振動を足元に感じながら、『私』の家へ向かう。 シャワーを浴びていた『二人目』を振り向いた瞬間に叩き殺し、返り血を浴びた服を脱いでお湯で体を洗い流す。邪魔な死体は浴槽の中へ放り込んでおく。後でどこかの木の根元にでも埋めればいいだろう。 少し疲れたのでいったん休憩しようと浴室を出ると、彼がいた。私が一緒にいたいと願った少年。 驚いた顔をしてこちらを見ている。……なぜか父親の壊れた眼鏡をかけていて、そういえばこんなイベントもあったっけと思い出す。 碇君が固まっているので、私は自分の欲求に従って彼と触れ合おうと近づく。前回と同じように彼が慌てて倒れ、私を押し倒す形になる。もちろん今度は「どいて」なんて言わない。彼とひとつになることが私の望みだ。背中へ左手を回して抱きしめ、右手で彼の頭を押さえて唇を重ねる。彼の味を口いっぱいに感じながら、これからずっと彼を手放さないことを心に誓った。 ――ふと脳裏に赤い髪の少女が浮かんだが、もし邪魔になるようなら排除するだけのことだ。 |
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