無惨! のどかな休日に浴室で散る女の命。白昼の住宅街でいったい何が!?


 日曜日の午後、暇を持て余して自室でヘビっぽいぬいぐるみとくんずほぐれつしていた椎名繭は、母親の華穂に名前を呼ばれて階下へと降りて行った。

「なーにー?」

 階段を下りながら、大きな声で訊く。華穂は、繭の姿が視界に入ると何かを確認するように頷いてから口を開いた。

「ああ、やっぱりだいぶ伸びてるわね。ねぇ、繭。それじゃあ前髪が眼にかかって、見えにくいでしょう」
「みゅー……うん」
「そうよね。そろそろ髪切ってらっしゃい。はい、これお金」

 華穂の言うとおりだったので、お金を受け取るとすぐに靴を履いて玄関を開け、そのまま外へ出る。部屋着を着たままだったが、繭は全く頓着しない。恋人ができても、自分の格好を気にしない所は変わっていなかった。閉ざされた扉の内側で、年頃であるはずの少女の母親は、そんな娘の色気ない様子にひとつため息をついていた。



 春の温かい日差しを頭上から浴びて、ちょっと伸びた髪が熱を持ってうっとうしいなと思いつつ、ときどき道脇にいる野良猫なんかを眺め足を止めながら、少女は商店街目指し、てくてくと歩く。街路樹は緑の葉を枝いっぱいに広げ、降り注ぐ太陽のエネルギーを余すことなく受け取っている。ハチが生垣で咲いている花のミツを吸っている。カラスがごみ漁りをして、ビニール袋から黒いやつが這い出ている。街は命に満ち溢れていた。

 心地いい陽気に誘われて、通りを歩く人たちも浮かれているようだ。元気が有り余っているのか、パンを口にくわえてなにやら叫びながら走っている人もいた。

「ほえ〜」

 ――どんっ。

 余所見をして人通りの多い道を歩いていたら、立ち止まっていた誰かにぶつかった。

「みゅっ」
「ぅおっと。……その声は」

 ぶつかった男が繭の方を振り向く。体重差のせいで自分だけ転んだ繭が見上げると、そこにいたのはよく見知った相手だった。

「やっぱり椎名か。どうしたんだ、こんな所で。一人で商店街に来るなんて珍しいな」

 男――繭の恋人の折原浩平――が、自分に追突した人物の正体に気づいて不思議そうに訊ねる。繭が人通りの多いところに一人で来ることはあまりない。だいたいいつも一人で外にいるときは公園や林で遊んでいる。好物のハンバーガー(てりやき)は、間食に食べると家で用意されてるものが食べられなくなるので、最近は我慢している。浩平が差し出した手を掴んで起き上がりながら、繭は質問に答えた。

「あたま切りにきた」
「なにっ! あ、頭の病気かなんかで手術するのかっ」
「ほぇ?」
「いったい何の病気だ! ひょっとして脳卒中か? もしかしたら脳腫瘍か? それともあるいは盲腸か!?」
「うぅー。ちがうもぅん。病気じゃないんだもぅん」

 一瞬浩平の言ってることが分からなくてぽかんとしていた繭は、彼の意図を理解すると断固反論した。この場にツッコミ担当の乙女志望はいなかったので、ボケにマジレスだった。繭の返事を聞くと、浩平はさらにわざとらしく驚いて見せてから続ける。

「なんだとっ。病気じゃないとすると、まさか人体実験か!? どこかの危ない医者が椎名の頭をいじくろうとしてるのかっ。宇宙人が金属片をインプラントするのかっ」
「ちがうー。かみを切るのっ」
「まあ分かってやってたんだが」
「うー。もうっ。それより浩平はどうしてここにいるの? 今日は誰かとどこか行くって言ってたのに」
「ああ、住井のやつが急に都合が悪くなったって電話で言ってきてな。結局行けなくなったんだよ。そんなわけでゲーセンで時間つぶしてたんだ。……そうだ、髪を切るってんなら、俺がやってやるぞ。こう見えても手先は器用なんだ」
「みゅー」

 浩平の提案に繭は返答を迷った。前に浩平の元クラスメートの七瀬留美から聞かされた悪行の中に、髪を切っていたずらされたというのがあったからだ。ちなみにそのときは、浩平と付き合うようになった繭に彼のことをよく教えるという題目で留美が悪口を言いまくり、幼馴染の長森瑞佳がフォローと自爆をするという流れだった。

「む、なんだその不安そうな顔は。お前は自分の彼氏の言うことが信じられないのか?」
「みゅ。わかった」
「よしよし。んじゃ、俺んち行くぞ」



 何度か来たことがある浩平の――正確には彼が現在世話になっている小坂由紀子の――家に到着すると、鍵が開くなり繭は住人を押しのけ戸を開けて中へ入った。

「おじゃまします」
「いまは誰もいないぞ。由紀子さんは休日出勤だからな」

 背後から浩平の声を聞きながら、いつもの習慣で彼氏の部屋がある二階に上がろうとする。

「あ、待て待て。風呂場行っててくれ。そこで髪切ってやるから。俺もすぐ行く」
「うん」

 浩平に言われて、階段の途中で足を止める。一階へ引き返し、脱衣所のドアを開ける。風呂場に行くので服を脱ごうと上着に手をかけたところで、考え直して止めた。これから浴室に行くのは、風呂に入るためでもシャワーを浴びるためでもない。ただ髪を切ってもらうだけだ。風呂場の電気と換気扇のスイッチを入れて、服を着たまま中へ入る。

 程なく浩平もやってきた。彼の手にはハサミとバスタオルがあり、準備は万端のようだ。

「えーと。椎名はとりあえずいすに座ってくれ」

 指示されたとおり、浴室用の背もたれのないプラスチックでできた丸いすに座る。台が低いので狭い浴室では足が窮屈になった。浩平がバスタオルを繭にかけて前掛けの代わりにし、首の裏側で結ぶ。そのまま繭の後ろに立って口を開く。

「おし、準備完了だ。さて――お客さん、どんな髪型にしますか」
「みゅー。え、と。いつもと同じでいい」
「了解。まあ、ずいぶんと久し振りだから万が一にも失敗する可能性はないとは言い切れないが」
「みゅ?」
「大丈夫だ。前の客も俺の仕事に満足してたからな」
「うん」

 繭の言葉を最後に、換気扇の回る音とハサミの動く音だけが、小さな部屋を支配する。髪を切り始めて一分もしないうちに、真冬の高山での遭難者もかくやというくらいの耐え難い眠気が、じっと座っているだけの繭を襲った。繭の首ががくっと落ちる。

「うわっ」
「みゅ」

 浩平の悲鳴で、半分居た夢の世界から現世に帰る。まぶたがくっつきそうな目を手でこすり、なんとか眠気を振り払おうとする。

「危ないだろ。いきなり動くなよ」
「うー。ねむくなるんだもぅん」
「我慢しろ」
「みゅー……お話してくれたらがまんする」
「はぁー、分かったよ」

 かつては幼馴染の特技だったため息だが、この少女と付き合うようになってからは浩平がする機会も多い。繭の要求を呑んで、手と口を同時に動かすことにした。

「そうだな、あの話をするか。椎名がいつもおいしいと言って食べてるハンバーガー。あれには実は秘密があるんだ」
「ひみつ?」
「ああ。そもそも、牛丼がなくなったのにハンバーガーがなくならないのは不思議だと思わないか?」

 繭には牛丼とハンバーガーの関連が分からなかった。自分の興味のないことにはとことん疎いこの少女は、かろうじて牛の病気のせいで牛丼が食べられなくなったことこそ知っていたが、ハンバーガーに使われているのが牛肉だということは知らなかったのだ。なのでこう答える。

「べつに思わない」
「くっ、それじゃあ話が続かないだろっ。……よし、ならこれはどうだ。長森が牛乳を好きなのは知ってるよな」
「うん」
「こら、頷かなくていい。頭を動かすな、口だけで返事しろ。……でな、あいつがあんな牛乳ばっか飲むようになったのは俺と出会ってからなんだ」
「みゅー」
「そう、あれは夏い暑の日の出来事だった……」



『うーす、長森。遊びに来てやったぞ』

 俺は長森の家のドアを開けると、挨拶もそこそこに適当に靴を脱ぎ散らかすと家の中に入った。うだるような暑さの外とは違って、冷房の効いている部屋から漏れ出る冷たい空気で、廊下や玄関までが涼しかった。もっと涼しいところへ行こうと、俺はリビングへ入った。その部屋のテーブルの上には、用意がいいことに既に氷入りの麦茶やジュースが注いであるグラスが置いてあったんだ。俺はもちろん躊躇せずに飲んだね。一杯飲み終わってコップをテーブルに置いたところで長森が部屋に入って来たんだ。

『あー、だめだよ浩平。それは友達が飲むんだから。あ、それとごめんね。浩平の家がいまクーラー壊れてるのは知ってるけど、今日は佐藤さんたちが遊びに来るんだよ。だから今のうちに帰ってほしいんだ』
『な、なんだってぇー(AA略』
『ごめんね、ほんと。今度わたしの持ってるビックリマンシールあげるから』
『……しかたないやつだ。ギンピカのだからな』
『うん、わかったよ』

 ここで長森は会話を打ち切って何かの用意をしに自分の部屋に行った。俺は口ではあいつの言葉に納得したようなことを言ったが、本当はかなり腹が立っていた。だから、長森が帰ってこないうちにいたずらを仕掛けておこうと思ったんだ。

 俺がそのときやったことは、テーブルに出てた飲み物と冷蔵庫に入ってる飲み物に異物を混入することだった。コーラと麦茶にはソースと醤油を、オレンジジュースには似たような色のジャムを入れたんだ。唯一、冷蔵庫にあった牛乳には白いものが何もなかったせいでそのままにしたけどな。ちなみにあいつの家にミネラルウォーターはなかった。それから、俺が暑い思いをしているときに飲んだ冷たいジュースであいつがどんな顔するのか想像しながら自分の家に帰ったよ。



「その後どうなったかは知らない。だが、翌日から長森が牛乳を愛飲するようになったのは、全世界公認の事実だ」
「ほぇー」
「この話の教訓は、いつでもどこでも誰にでも油断してはいけないってことだな。――切るのはこんなもんでいいか。浴槽のへりに首を乗っけてくれ。頭洗うから」
「うん」

 言われたとおりにすると、空っぽの湯船の底が見えた。浩平が蛇口から水を出して手に乗せ、繭の頭を湿らす。次はシャンプーをつけて、少女の髪を泡立たせる。

「お客さん、痒いところはありませんか」
「うー。もちょっと右」
「ここですか?」
「そこ。……みゅー♪」

 浩平がお約束のやり取りをして繭の注文を受け付けると、年下の恋人は気持ちよさそうに鳴いた。



「よし、終わり」
「みゅー」
「ちょっといつもとは違うような気もするけど、まあいいだろ。どうだ、椎名」

 浩平が繭の頭を掴んで浴室備え付けの鏡へ向ける。肩よりちょっと長くなって少し背中に回っていた髪の毛は、肩の上で切りそろえられていた。視界を妨げていた前髪も、眉毛の上まで勢力を後退させている。若干後ろの毛が短くなりすぎているような気はしたが、特別斬新な髪型になっているということはない。

「ちゃんと切れてる」
「だろ。これから俺のことはバーバー・キラー・インダストリアル・メルヘンチック・折原と呼んでくれたまえ」
「みゅー……」
「冗談だ。さ、出るぞ」

 後片付けはしないで外へ出ると、まだけっこう日が高い。用事が終わったはずの繭は、家の前を動こうとしなかった。髪を切ってさっぱりした繭が期待を込めたまなざしを送ると、浩平はちゃんと応えてくれた。

「まだ今日は時間があるし、これからどこか行くか」
「うんっ」


あとがき

 2ch葉鍵(Leaf・key)板のコンペスレでテーマ「休日」に出した作品。評価は「起伏がない」とか。スレ(というか板もだけど)がものすごく寂れてるんで、暇があってスレが続いてたら顔を出してやってください。
 繭はあのぶかぶかの服が(・∀・)イイ



書いた人:濡留歩
(初2005/06/24、最終2005/07/09)

【小説】