あなた、何様?
第五話

 無闇に広く、それでいて圧迫感のある部屋。今ここには、私を含めて三人しかいない。他の二人はネルフのトップだ。

「サードチルドレンは碇司令やネルフを憎んでいるふしがあります」
「まあ、ずっと放っておいた父親と、その父親がトップにいる組織を憎む気持ちは分からなくはないが。しかし、人類の生存を懸けた戦いに私情を挟まれても困る。何とかならんもんかな」

 冬月副司令が、私の報告を聞いて呟く。その言葉に少し引っかかる事があったので、ちょっと躊躇ってから口を開いた。

「いえ、彼が碇司令を特に恨んでいるのは確かなようですが、ネルフを恨んでいる理由はそれだけではないと思われます」
「ふむ?」
「どうもエヴァに乗るのを嫌っているようです。あるいは、エヴァそのものを嫌っているのかもしれません」

 エヴァのパイロットであることがクラスメートに知られた日の、教室での碇君の様子を思い出しながら言う。あのときの彼は、とても父親が嫌いだからエヴァに乗るのが嫌だという感じじゃなかった。あれは、碇君のエヴァに対する嫌悪もしくは憎悪は、父親に対する反抗心や恨みだけなどではないはずだ。

「彼の戦い振りを見る限り、戦うのが嫌だからエヴァに乗るのも嫌っているという可能性は低い。使徒の攻撃にもたいして恐怖を感じていないようだったしな。となると、他に考えられる原因は……シンジ君がユイ君の事故を覚えてるという場合か」

 その名前に碇司令の体が小さく動く。

「確かに彼にとってはショックな事だっただろうから、まだ小さかったとはいえ覚えていても不思議はないかもしれないな。母親を殺した装置に乗るのを嫌がるのも当然か」
「……そんな事はどうでもいい。あいつがエヴァを嫌っていようがいまいが、使徒を倒し続けるのならばどちらでも関係ない。それよりも、何らかの組織と連絡を取っている素振りは無かったのか」

 司令が副司令の言葉を不快気に遮って、私に訊いてきた。あまり触れたくない話題だったようだ。

「いえ。今のところ他組織との接触は全く確認できません」
「分かった。以後も引き続きサードチルドレンを監視しろ」
「はい」

 報告を終えた私はその部屋――ネルフ本部司令室――を辞して、碇君と共同で暮らしているマンションの一室へ帰るために移動する。歩きながらさっき少しだけ話題に出た、碇ユイについて考える。碇司令の妻で、碇君の母親。二○○四年、エヴァとのシンクロ実験により死亡。詳しい資料は抹消済み。司令が消去してしまったらしく、顔写真のデータも残っていない。碇君がエヴァを嫌うのが、母親をエヴァの事故のせいで失った事だという副司令の推測は、いちおう納得できる意見ではある。けど、碇君はそれほど母親を慕っていたのだろうか? ネルフ――当時はゲヒルン――の研究員だっただろう碇ユイに、子供とコミュニケーションをとる機会がたくさんあったとは思えないのだけど。たとえ慕っていたとして、もしそのことを覚えていたのなら、彼の性格からして初めてエヴァに乗るときに何か司令に言うと思う。「妻を殺した道具に息子も殺させるのか?」くらいの皮肉を言っていてもいいはずだ。なのにビデオで見たその場面では、碇ユイに全く言及していなかった。これは事故――副司令の言い方だと碇君は直接見ていたようだ――を覚えていないか、彼の中での『母親』の価値が小さいことを示しているように思える。……いや、逆に『思い出したくない』ほどショックだったから言わなかったという可能性もあるか。あんな性格でもひょっとしたら本当は寂しんぼで、母親の愛情を求めているのかもしれないし。



「おかえり。遅かったね」

 部屋のドアを開けると、いつもどおり碇君がキッチンから挨拶してくる。

「ただいま」

 こちらからも必要最小限の言葉で返す。洞木さんに挨拶ぐらいちゃんとした方がいいと言われてから、一応挨拶をするようになった。私はそんなことする必要はないと思うけど、円滑なコミュニケーションのためには必要らしい。碇君から情報を引き出す任務についている手前、今こうして実行している。ちなみに初めて「ただいま」と言ったときには、涙を見せるほど喜んでいた。たかが挨拶ひとつになんて大げさなと思ったのを覚えている。

「あ、包帯取れたんだ。良かったね」
「ええ」
「言ってくれれば、もっとごちそう用意したのに・・・。まあいいか。あるものでできるだけ豪勢なの作るよ」

 碇君が私の姿を認めて、これまでとの変化に気付いて言う。零号機起動実験のときに負った怪我もようやく癒えて、今日ネルフの病院でギプスを外して検査した上で眼帯も外した。これでパイロットとして戦線復帰するわけだが、そっちはどうせ碇君一人がいれば十分だろう。もっともネルフとしては何かと得体の知れないパイロットに全てを託すつもりはなく、弐号機をドイツから呼び寄せているし、私も近く零号機の再起動実験を行うことになっている。



 碇君が言ったとおり、その日の晩御飯はいつにもまして手間がかかっていた。肉がないのはいつも通りだけど(魚や卵は大丈夫か訊いてきたけど、肉を嫌いなのは初めから知っていたようだ)、りんごがウサギ型に切られていたり、見た目鮮やかな色の材料を多く使っていたりと芸が凝っている。そしてそれを待ちきれずに食べ始める人が隣に一人。

「んー、シンジ君、今日はやけに時間かけるわねぇ。なんかあったっけ……」

 そう言いながら目の前にあるきゅうりの漬物をぽりぽりと食べる。……あなたは子供ですか、葛城一尉。

「こら、牛。綾波の全快祝いなんだから勝手に食べるな」
「牛ってゆーなっ! あ、レイ包帯取れたんだ」

 いつもの喧嘩が始まった。ちなみに碇君は最初は『葛城さん』と呼んでたけど、何度か喧嘩してるうちに『牛』という呼び方をするようになったらしい。私が入院してる間のことで、検査の合間に赤木博士が疲れた表情で言っていた。碇君に訊いたところ、胸が大きくて食べたり飲んだりしてばかりいるからだそうだ。ちなみに碇司令を『髭』(ヒゲを生やしてるから)、冬月副司令を『電柱』(いつも碇司令の後ろに立っているだけだから)、赤木博士を『金髪マッド』(髪を金色に染めていてマッドサイエンティストだから)と呼んでいる。葛城一尉も何度も言われてるので、その呼称には一回反論しただけで流す。

「ふん。それくらい入ってすぐ気付け。やっぱお前はチルドレンのことなんて駒としか思ってないんだな」
「ち、違うわよっ。そ、そう、シンジ君のご飯があまりにもおいしそうだからそっちに目がいっちゃったのよ」
「ふーん。あんたにとってチルドレンは飯以下なのか」
「そ、そうじゃないわ。た、ただ、レイの存在感が余りに薄かったのよっ」

 ……もしかして悪口を言われているのだろうか。

「そんなことが言い訳になるはずないだろ! この無能牛が」
「なんですってぇー!」

 ……碇君も否定してないし。まあ私の存在感が薄いかどうかなんてどうでもいいけど。

「エヴァの操縦はパイロットの精神状況に大きく左右されるんだから、パイロットのことは注意深く見ておくべきでしょう、作戦部長さん?」
「まだレイはパイロットじゃないわ!」

 葛城一尉の肩書きは戦術作戦部作戦局第一課長よ、碇君。それと一尉、確かにまだエヴァは起動できてないけど、私はファーストチルドレンでパイロットとして登録されてます。

「どうせすぐにパイロットにするんだろうが。それともパイロットが俺一人でもいいのか?俺はそっちの方が良いけどな」
「ぐっ……」
「んっ?お前が言う『生意気なクソガキ』に全てを託してみるか?」

 わざわざ喧嘩が終わるのを待つこともないと判断し、いただきます、と小さな声で言ってから食べ始める。ギプスが取れて箸を使うのも簡単になった。

「あんたみたいな人の言う事聞かないガキに任せられるはずないでしょ!」
「そっちこそちゃんとした指示をしたことなんかないだろっ!」

 ん。このきゅうりの漬物、おいしい。

「してるじゃないっ。どこが駄目だってのよ!」
「そんな事も分からない奴に教えたって、どうせ理解できないだろ」

 ご飯は炊きたてでふわふわしていた。だけど実はちょっとだけ固い方が好きだったりする。

「あ、あんた私がバカだって言いたいの!?」
「なんだ、これくらいはわかるんだな」
「――っ。ふ、ふん、他人のことをバカって言う方がバカなのよ、おバカなシンちゃん」
「俺はひとこともバカなんて言ってないぞ。お前はいま言ったけどな」
「言ってなくても、肯定したんだから同じでしょうっ」
「なるべく嘘はつきたくないからね」
「本音だけじゃ社会を渡っていけないわよっ。もっと上手く言葉を選ばないと」
「・・・自分がバカだと認めてるのか?」

 ふぅ……。ごちそうさま、と。お祝いというだけあって、いつもよりは少し美味しく感じられた。最後に兎型リンゴを食べ終えて、自分の食器を持って席を立つ。流しに食器を入れて、水に浸す。いちおう、これくらいは自分でやっている。
 キッチンから戻って来ても、まだ口論は続いていた。

「だいたい何よ、いつも黒い服着ちゃって。あんたこそバカじゃないの?」
「なんだとっ!?この服のかっこよさが分からないお前のファッションセンスが悪いんだよ!」

 ……自分の部屋で本でも読んでよう。



 セカンドインパクトで地軸が動いてしまった影響で、日本は常夏の地域になった。一年中容赦なく太陽が照り付けてるわけで、この第一中学校における体育のプールでの授業も二週間に一回の割合で休みなく行われる。その際、男女のプール授業は別々の日に実施されるので、実際にプールに入るのは四週間に一回という事になる。プールに十分な広さがないというのがその理由だ。もっとも、女子だけで使っていてもみんな暑さを逃れるためにプールに入るので、自由時間になっても気ままに泳ぐ事はできない。泳ぐ事は好きな私だけど、クラスメートとじゃれあいをするつもりはないので、自由時間になるとプールサイドに座って休憩をしていた。――実際にはもうひとつプールに入りたくない理由が別にある。

「綾波さんはプールに入らないの?」

 熱せられたコンクリートの上に座って、近日中にやる零号機再起動実験をのことを考えていたら、洞木さんに声をかけられた。私が一人で居るのが気になったようだ。私の隣に座って、話を続ける。

「ええ」
「ふーん。綾波さんって泳ぐの速いから、プールは好きなんだと思ってたけど……違うの?」
「泳ぐのは好き。だけど、これじゃあ泳げないもの」

 人がいっぱいいるプールの方を見ながら言う。これでは自由に泳ぐ事はできない。すぐに人にぶつかってしまう。

「まあ、それもそうか。ね、綾波さんは水泳教室とか通ってるの? それともパイロットは運動全般ができないとだめとかあるの?」
「別にどこにも通ってないし、チルドレンになるのに運動能力は関係ないわ。水泳の訓練なんていうのもないし。……私が泳ぐのが得意なのは、生まれたときから水の中に居たからよ」
「生まれたときからって……。もの心ついたときからってこと?」
「そんなところ」

 本当は違うけど。

「へぇ、すごいなぁ。そんな小さい頃からやってることがあるなんて。わたしなんて、何もとりえなんてないわ」
「……洞木さんの料理は自慢しても良いレベルのおいしさだと思う。少なくても、碇君の作るのよりは上手だった」

 いつか昼休みに食べさせてもらったお弁当を思い出しながら、正直な感想を話す。司令にたまに連れて行ってもらう所で出される料理ほどではないけど、碇君のよりはおいしかった。私が碇君と一緒に暮らしていること、三食碇君に作ってもらっていることは以前に話したので、クラスの人たちはみんな知っている。碇君がパイロットは安全管理の都合上一緒に暮らすんだと必死に説明していて、どうしてそんなに一生懸命嘘をつくのか不思議に思ったものだ。
 褒められたはずの洞木さんは、笑顔というよりも苦笑に近い表情になった。

「そ、そう? ありがとう。で、でもほら、碇君が綾波さんのために作る料理はわたしのお弁当とは違うというか、真心がこめてあるんじゃないかしら」
「? 気持ちじゃ味は変わらないわ」
「それはそうなんだけど……。はぁ、碇君も苦労してるんだろうなぁ」

 溜息をつく洞木さん。なぜ? 私は事実を言っただけなのに。

「えとね、結構大変なのよ、毎食ちゃんと作るのって。前日に下準備をしておくとしても、朝は早起きしないといけないし。それに碇君はパイロットの仕事もあるんでしょ? わたしなんかよりずっとすごいと思うわ」

 確かに私は料理なんて一回もしたことないんだから、その大変さなんて理解できない。だけど。

「……碇君は料理するとき嬉しそうにしてるから、たぶんそれが趣味よ。苦労とは思ってないはず」
「そうね。綾波さんのためなら碇君は喜んでご飯を作るか。でも、ちゃんと感謝してあげないと碇君がかわいそうよ。あ、もちろん綾波さんの気持ちしだいだけどね」

 そういうものなのだろうか、よく分からない。私がちょっと考えていると、プールの中からクラスメートが洞木さんの名前を呼んだ。「綾波さんも来る?」と洞木さんが訊いてきたので、私が首を横に振ると「じゃ、わたし行ってくるね」と言い置いてプールに戻って行った。
 なんとなくぼんやりと、水の中で遊ぶ彼女たちを眺めながら、思う。

 ――大勢のヒトの形をしたモノと一緒に水槽の中には居たくない。



 翌日行われる零号機の再起動実験のため、本部でエントリープラグの調整をする。どうせ起動できても碇君だけで使徒には勝てるだろうけど、だからと言って私が手を抜いていいわけではない。

「レイ」

 外から碇司令が私を呼んだので、プラグから出て近くまで行く。たぶん前の実験で大怪我をした私を気遣って来てくれたんだろうと思う。死んでも代わりが居る私のことを、怪我をしてまで助け出してくれた碇司令。いまもこうして心配してくれてる。秘密を知っていても私のことを心配してくれるのはこの人だけ。……碇君も心配してくれてるのかもしれないけど、あれは司令とは違う。他人を高みから見下ろして、手を差し伸べて助ける事で、自分は偉い人間だと錯覚したいだけだから。

「昨日はごめん。勝手なこと言って。君は俺が知っている人とは別人なんだよな・・・」

 ……ただそれだけ、のはず。

「レイ、どうかしたか?」
「いえ、何でもありません」

 私が少し考え込んでいると司令が声をかけてきたので、そこで思考をやめる。司令は忙しくて、国外へ行ったりすることもあり、話す機会は限られているから呆けてその時間を無駄にするのはもったいない。

「そうか。怪我はもう全快したが、体調は何処か悪いところはないか?」
「はい、問題ありません」
「ああ、ならいい。だが、まだ無理はするなよ」
「はい」
「……前の実験では、確かに失敗してお前も大怪我をしてしまったが、我々はその教訓にして零号機の調整をしてきた。お前も今度は前回のことをひとつの経験として、より良い状態で臨めるだろう。それにたとえ失敗してもまた私が助けてやる」
「はい。そのときはお願いします」

 やっぱり司令はこうして気にかけてくれる。自然と顔がほころぶのが自分でも分かった。

「とはいっても、本当に失敗してもらっては困るからな。暴走の一因にお前の精神状態が不安定だったということもあったらしいから、今度はできるだけ平静な状態でいるんだ」
「わかりました」

 既に知っていたことだったけど、素直に頷く。でも、どうすれば心を平静にできるのかなんて分からないので、訊ねてみる。

「具体的にどうすればいいのでしょうか」
「そうだな……。お前が嬉しかった事を思い出してみるといいかもしれん」

 嬉しかった事……。やっぱり司令に助けてもらった事が思い浮かぶ。

「わかりました。そうしてみます」
「ああ。うまくいったら何処かで食事でもしよう」
「はい。楽しみにしています」

 司令の連れて行ってくれるお店の料理は美味しいし、なによりこの人と一緒に食べれるのが嬉しい。私がヒトでないことを気にしなくてもいい唯一の人だから。……まあ、百歩譲って碇君も『私がヒトでないことを気にしなくてもいい人』に入れるとしても、一番気を許せる相手が司令である事には変わりない。

「――そういえば、普段の食事はどうしてるんだ? 出前でも取ってるのか?」
「いえ、サードチルドレンが作っています」
「なにっ? あいつがか!?」
「そうです」

 司令が驚くのも無理はないかもしれない。普段のネルフでの碇君の態度は傲岸不遜そのものだから、彼がエプロンをつけて料理をするというのはイメージに合わないのだろう。

「そ、そうか。……おっと、もう行かなければいけない時間だ。お前も適当なところで切り上げて早く体を休ませておけ」
「はい。さようなら」

 私が挨拶をするとは思わなかったのか、少し意外そうな顔をした後、ひとつ頷いてから歩み去って行った。私はその姿が見えなくなるまで見届けてから、再びエントリープラグの調整作業に戻った。



 夜、葛城一尉はいつもどおり、赤木博士は初めて私(と碇君)の家に来た。葛城一尉が誘ったらしい。

「へぇ、結構片付いてるのね」
「まぁね。私のところよりはちょっちきれいね」
「あんたのごみためと比べたら、どこだってきれいだと思うわ……。てっきりレイがいるから散らかってるものと思ってたんだけど、噂は事実だったわけね」
「うわさ?」
「シンジ君が意外と家事が得意だってこと。全然そうは見えないから、あんまり信じてなかったんだけどね」

 そう言って、赤木博士が台所で野菜を切っている碇君を見る。それなりに手馴れた様子で包丁を扱うさまを見れば、その噂が本当だと分かるだろう。ちなみに赤木博士の言ったとおり家の掃除は、(私の部屋も含め)碇君がやっている。私はそういう面倒くさいことをしないから。赤木博士は私のそういう性分を知っているから、部屋がきれいなのに驚いたのだろう。

「でも、本当、シンジ君がこんな家庭的だなんてね。本部での彼の態度からはとても想像できないわ」
「ふん。態度はここでも似たようなもんよ。あいつの生意気さはどこでも変わらないわ」
「はぁ、あなたは……。まぁ、彼はここに来る前から一人暮らしみたいなものだったから、家事が上手でも別に報告とは矛盾しないか……」
「……そうかもしれないけど、私はあの報告書を信じることなんてできないわよ」
「まぁ、それは私も同感よ。あのシンジ君を見て、『内向的でおとなしい』なんて思う人はいわ」
「はっ、あのクソガキのどこが内向的よ。ちょっとエヴァの操縦が上手いぐらいで調子に乗ってさ」
「ミサト。彼が使徒を倒してくれてるから、私たちは今生きているのよ?」
「わーってるわよ、そんぐらい。ただ無性に腹が立つのよ、あいつと話すと」
「――じゃあ話さなければいいでしょ」

 料理を持って来た碇君が口を挟む。いつもと同じく皮肉気な口調で。

「っ! あんたはチルドレン! 私はその上司なのっ!」

 ――また始まった……。葛城一尉もいい加減あのくらいの台詞は軽く流せばいいのに、いちいち反応して……。
 長引きそうなので、自分のご飯をよそりに炊飯器のところまで行く。ついでに赤木博士のぶんも用意して、テーブルのところまで戻る。

「ああ、レイ。ありがとう」
「いえ、ついでですから」

 言い合いをしてるふたりをほっぽって、自分たちだけで食べ始める。

「いただきます」
「いただきます」

 しばらく葛城一尉と碇君の口喧嘩をBGMに、黙々と食事を取る。私と赤木博士はあまり親しくないので、会話は無かった。赤木博士は私のことを代わりがある動く人形としか思ってないし、私も仕事上の付き合い以上はしない。ときどき私のことを睨んでいるような気がするので、できればあまり関わりたくないと思っている。しかし、いつまでも黙っているのは嫌になったのか、赤木博士が話しかけてきた。

「いつも家でもこんな感じなの?」
「はい。これがこの二人のコミュニケーションなのではないかと推測します」
「そうなのかしら……? あれ、そういえばレイって私服あったのね」

 私の服装(Tシャツとジーパン)を見て言う。ネルフへ行くのは、学校帰りで制服のままだから、彼女が私の私服姿を見るのは初めてだった……、いや、前にもあった? ともかく、ここ最近では制服か、プラグスーツか病院服でしか会ってなかった。

「私は必要ないと思ったんですが、碇君がいつも制服では変だと言うから、私服を買いました」
「ふーん。でも、そのシャツ……」
「なにか?」

 自分の着ている服を見下ろす。別に普通のTシャツだと思うけど。白地のTシャツで、胸のところに大きく「Nerv」と赤い字で書かれている。背中には「使徒迎撃都市 第三新東京市」と黒でプリントされている。何か問題があるのだろうか。

「――いえ、なんでもないわ。それにしても結構おいしいわね、シンジ君の料理。中学生でこれだけ作れるなら、将来コックとしてでも暮らしていけるんじゃないかしら」
「そこまで褒めるほどのものでしょうか?」
「別に私だって今のこの料理が、お店で出して人気が出るほどおいしいと言ってるんじゃないわよ。中学生でこれだけ作れるんだから、大人になったときにはもっと上手に料理できるようになってるんじゃないかしらってことね」
「……そうかもしれませんが、あの性格で客商売は無理ではないでしょうか」
「それは成長とともに直るかもしれないわ」

 性格がまともになった碇君。……想像できない。

「赤木博士が希望的観測をするとは珍しいですね」
「あの二人の喧嘩にいつも巻き込まれてれば、たまにはそう思いたくもなるわ。よく飽きもせずに毎度同じ事をやるわね、ほんと」

 本部の実験でもあの二人の喧嘩のせいでスケジュールが遅れたりする事もある。赤木博士は、もういちいち怒るのもやめたようだけど、ストレスは溜まるのだろう。微妙に疲れた表情だ。

「あ、そうそう。えーと、レイ、これ。新しいセキュリティカードよ」
「はい」

 赤木博士からカードを受け取って、ふと視線を感じて横を向く。先程まで葛城一尉と言い合っていた碇君が、いつのまにか話すのをやめてこちら見ていた。

「なに?」
「な、なんでもない」
「?」

 彼はなぜか顔を赤くして目を逸らした。



 プラグスーツに着替え、実験の準備ができるまでの間。ベンチに腰掛けて、家から持ってきた司令の壊れた眼鏡(譲ってもらった)を手にしてあのときのことを思い出す。

何かよく分からないうちにエヴァとのシンクロが途切れ、続いて体にGがかかる。オートエジェクションが作動してエントリープラグが射出されたのだ、と気付くまもなく激しい衝撃がプラグを襲う。天井にぶつかった結果だ。プラグが天井を擦りながら進む様子が、私には振動として伝わった。最後にパラシュートが開くほどの高度もない場所から落ちて、ひときわ強い衝撃が起きた。いくらエントリープラグが頑丈で、LCLが緩衝材の役目を果たすといっても、一連の過程で私はかなり大きなダメージを受けた。少しの間痛みに耐えていると、プラグのハッチが外から開けられた。LCLが流出する。俯けていた顔を上げ、そちらを見る。

「レイ! 大丈夫かっ!?」

 同時に、普段の冷静さをかなぐり捨てた碇司令が、ハッチから上半身を中に入れて叫ぶ。私は頷くことで返事をする。それだけの動作でもひどく億劫だった。

「そうか」

 司令が安心したように言い、表情を緩める。私も緊張が途切れて意識を失った。最後に見えたものは、やけどした手のひらとひび割れた眼鏡、司令の笑顔だった。


 回想を終えると、司令の言っていたとおり、精神状態が安定した気がする。時間を確認すると、そろそろ搭乗する時間だ。眼鏡をケースにしまい、ロッカーに置いてケージに向かう。

「もう準備はできてるわ。早く乗って」
「はい」

 赤木博士に言われてプラグに乗り込んだ。ハッチを閉じて、LCLが満たされる。空気を肺から出して替わりにLCLを吸い込む。操縦桿を握り、気持ちを落ち着かせる。発令所の方では、その間も作業が進められていく。

「絶対境界線まであと1.0」

 オペレータの報告がもうすぐ起動することを教える。カウントダウンにつれて緊張が高まっていく。――大丈夫、例え失敗してもまた碇司令が助けてくれる。自分に言い聞かせて不安を削ぐ。

「0.2、0.1……ボーダーラインクリア。零号機起動しました」

 私がほっとしたのも束の間、すぐに施設全体に警報が鳴り響いた。まただめだったのか、と思ったけど、原因が零号機でない事は間もなく分かった。使徒が来たのだ。

書いた人:濡留歩
(初2004/10/09、最終2004/10/09)
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