あなた、何様?
第四話

 使徒が活動を停止した後、一瞬の静寂が過ぎると発令所に歓声が沸き起こる。そんな喜びの輪の中、葛城一尉は俯きながら手を握り締め、その手を細かく震えさせていた。

「初号機との通信は?」

 押し殺した低い声で、オペレーターに訊ねる。オペレーターの人は葛城一尉のみんなと違う様子に気づかないのか、普通に返事をした。

「あ、はい、繋がっています」

 その返事に無言で頷くと、必死に自分の感情を抑えている様子で、努めて感情を消した声で碇君に話しかけた。

「シンジ君、ご苦労さま。エヴァをケージに戻しすから第9ルートまで行って頂戴」

 葛城一尉が懸命な努力の末に呼びかけたにもかかわらず、初号機はその場を動かない。碇君はまるで何かを探してるように瞳を動かしている。あの方向は……山が在るだけなはずだけど――。

「シンジ君!? ちょっと――」
『民間人がシェルターから出ています。保安部に連絡してください』

 碇君の声。スクリーンに初号機の見ている場所が拡大される。

「シンジ君のクラスメート!? 何で民間人が外に出てるのよ!」

 画面に映ったのは眼鏡をかけてる少年で、葛城一尉の言うとおり私達のクラスメートだった。自分が見られているとも知らないで、こちら(初号機)に向かってカメラを回している。さすがに音声までは拾えないが、何か叫んでいるようだ。切羽詰ってるというわけではなく、喜びを抑え切れなくて自分の感情を外に撒き散らしているという感じだ。たぶん自分の意思で外に出たんだろう。碇君の行動は、まるで彼が出ている事を知っていたようなものだったけど、普段から学校で一人戦争ごっこをしている少年の様子を知っているので、こうなる事を予想するのは簡単か。

「すぐ保安部を向かわして、拘束。ちょっちお灸をすえないとね。それからシンジ君、さっさと戻りなさい」
『はいはい、りょーかい』
「っく、真面目にやりなさいっ!」
『使徒を倒したんだから、問題ないだろう』
「なんですってぇ! 今日という今日は……」

 ……

 あの二人の言い争いはいつもの事なので無視して退室する。毎回顔をあわせるたびに口喧嘩をして、飽きないのかなと思う。それともあれは一種のコミュニケーションなのだろうか。そんなことを考えながらドアを開けて外に出た。
 少し一人で考え事をしたかったのでチルドレンの女子更衣室へ向かった。家には碇君が帰ってくるかもしれないし、本部の別の場所では他の人が入ってくるかもしれない。その点、いま本部に居る女子チルドレンは私だけなので、この更衣室に誰かが入ってくるという事はない。
 一人になって落ち着いたところで、碇君の戦い振りを思い出す。

 葛城一尉の怒鳴り声が響く発令所で、私は先程のエヴァの動きを思い浮かべる。拘束具が外れると同時に、命令を無視して滑らかな動きで走り出し、あっという間に使徒に接近する。目に映らないほどの速さで振るわれた相手の触手を、止まることなく前に進みながら体を半歩ずらして避ける。半身のまま使徒に肩から体当たりし、自ら相手を下敷きにする形で倒れこんで、動けなくする。すかさずプログナイフでコアを精確に貫いて戦闘終了。

 ビデオで見た前の使徒戦。

 初めてのエヴァへの搭乗にも表情を変えない碇君。LCLにも驚かず、素直に肺に満たした。そして神経接続。シンクロ率99、89%。あり得ないほどの高シンクロ率。長年のネルフの研究を嘲笑うかのようにあっさりとドイツに居るセカンドの記録も抜いて起動は成功した。驚くオペレータや赤木博士と、エントリープラグの中から冷ややかに映像を見つめる碇君。葛城一尉が我に返って碇司令に確認を取って初号機を地上へ射出。そのときの一尉の表情――緊張と少しの喜び?――を映像で見て碇君は顔を顰める。発令所からの指示が出る前に使徒に向かって走り出し、勢いを殺さずに殴りつける。倒れた使徒に向かってさらに走るが、使徒の顔が光って、放たれた光線をまともに顔面に受ける初号機。今度は初号機が後ろに吹き飛ぶ。追い討ちをかけて使徒の手から撃ち出される連続の光線を、地面を転がって避ける。2、3回転してから立ち上がると、再び使徒へ向かって走る。使徒から再度光線が放たれるけど、同じ攻撃は通用しなかった。初号機の前に角度を調節された赤い壁、ATフィールドが現れて光線を逸らす。コア目掛けて初号機が拳を振るい、使徒が張ったATフィールドごと薄いフィールドを纏った拳で粉砕してパターン青消滅。使徒殲滅。

 どちらも私には多分出来ない。もちろんエヴァとのシンクロ率も真似できない。前に乗ったときの失敗はもう繰り返さないとしても、碇君のようなシンクロ率を出せるとはとても思えない。それに、彼の戦い方も真似できるとは思えない。使徒の攻撃を食らったとき、シンクロシステムの欠陥である痛覚のフィードバックで相当の痛みがあったはずなのに、初号機の動きには全く影響が見られない。敵の攻撃に対する反応速度から考えると、多分痛みを感じないほど「使徒を倒す事」に集中しているのだと思う。なにより、碇君は戦い慣れている。まるで相手の攻撃がくるのを分かっていたかのように動いて避け、寸分の狂い無く素早くコアを攻撃する。動いてる相手の急所を一瞬で攻撃するとは、相当な技術といっていい。少なくても昨日今日に訓練を始めたのではなく、ある程度の期間戦闘訓練をしたはずだ。いくらエヴァがパイロットのイメージで動くとはいえ、初号機のあの動きは素人が思い浮かべる動きではなかった。彼ひとりでパイロットは十分なのではないかと思えてしまう。
 ……私はいらない存在なの?



 家に帰ってからも改めて自分の存在価値に思いを馳せていると、考え込んでいる様子を不審に思ったのか碇君が尋ねてきた。

「綾波、どうかしたの?いつにも増して無口だけど」

 ……あなたのせいで私がこんなに悩んでるのに、よくもぬけぬけと言うものね。なんだかムカムカしたきてしまった。なので返事をしない。碇君に話してもしょうがないし、と自分の感情に任せた幼稚とも思える行動を正当化する。

「何かあったの?」
「……」
「言ってくれないの?・・・そうだよね、綾波とは出会ってから一ヶ月も経ってないもんね」

 勝手に落ち込んでる……。私の知ったことじゃないけど、落ち込んでいる碇君を見ると少しだけ気が晴れた。私だけ苦しむというのはやっぱり理不尽だから、碇君も辛い思いをすべきだ。



「ね、ねぇ、綾波さん。碇君どうかしたの? なんか今日はすごく暗いけど」

 翌日の学校で一時間目の授業が終わった後、洞木さんが私の席の所まで来て開口一番に尋ねてた。そう訊きたくなる気持ちも分からなくは無い。今の碇君は同じ教室に居るだけで感じられるほど、周囲に陰鬱な空気を撒き散らしているから。そして原因は恐らく私の昨日からの態度だろう。
 結局使徒戦が終わってから、碇君とは全く口を利いていない。司令に碇君のことを探るように言われていたのを思い出したけど、どうしても自分の感情に折り合いをつけられなかった。始めに司令から碇君と一緒に住むように言われたとき、今は怪我をしているからエヴァの操縦をできないけど、怪我が治ったらパイロットとして必要とされる存在になれると考えていた。碇君が私の居場所を奪っているのは一時的なことだと思っていた。……いや、思おうとしていたのかもしれない。だけど、使徒戦で碇君の操る初号機の戦い振りを見ると、そんなことはできないのではないかと思えてしまった。怪我が治ってもエヴァのパイロットとして必要とされるのは碇君だけだと思ってしまった。一度そう考えてしまったら、碇君のことを調べるという任務にもかかわらず、彼と会話をする気にならなくなってしまった。

「綾波さん?」

 いけない、少し考え込んでしまった。

「何でもないわ。碇君のことは私は知らない」
「そうなの? 碇君があんなに落ち込むなんて、絶対綾波さん関係だと思うんだけどなぁ」

 洞木さんの考えの根拠は分からないけど、確かに今回は碇君の落ち込みの原因は私だ。初対面のとき以外は、ずっとそれなりに碇君に気を使ってきていたから、突然の私の態度の変化にショックを受けたのだろう。
 碇君の方をちらっと見る。どす黒い空気にみんな引いて近くには誰もいない……と思いきや、一人の男子生徒が近づいていった。

「なぁ、碇。お前昨日シェルターに居なかったよな」
「え・・・。ああ、うん」
「やっぱりな。なあ、ロボットのパイロットってお前だろ?」

 眼鏡をかけた男子生徒――よく見たら昨日の戦いのときシェルターの外に出ていた、自殺志願者だ――が碇君に問いただす。シェルターに居なかっただけでどうして碇君がパイロットだという発想になるのかは分からなかったけど、彼なりの裏づけがあるのかもしれない。葛城一尉が彼はネルフ職員の子供だと言っていたから、そのセンからの情報漏れか。碇君はどう答えるのだろう。

「そうだよ、一応」

 あっさり肯定した。まあ確かに否定したところで、これからも使徒が来るたびに居なくなってたら疑われるだろうけど。

「えーっ!」
「すげーっ」
「どうやって選ばれたの!?」

 今の話をクラス中の人が聞いていたみたいで、皆で碇君に群がる。彼らにとっ、エヴァのパイロットとは命をかけて戦うひとりの人間ではなく、単純に敵をやっつけて自分たちを守る、テレビ番組から現実世界へと現れたヒーローなのだろう。

「ねぇ、綾波さん?」
「なに」

 教室に突如できた人だかりを冷めた眼で見つめていた私に、洞木さんが声をかけてきた。

「綾波さんもシェルターに居なかったよね?」
「ええ」
「そ、それじゃあ、綾波さんもロボットのパイロットなの?」
「ええ、そうよ」
「……もしかして、その怪我もロボット関係で?」

 別に隠す必要もないだろうと思い、頷く。

「やっぱり危険なの、パイロットって」

 …どうなんだろうか。エヴァの装甲はそれなりに厚いということになっているし、ATフィールドもある。でも使徒に対してどれだけ有効かは分からない。現に最初の使徒戦の時に初号機は無視できないダメージを受けた。昨日の使徒の触手による攻撃も、まともに食らえば致命傷にもなり得る。また、エヴァの暴走が起こることもある。それに護衛が居るとは言え、誘拐や暗殺の危険もある。対してここに住む一般人の場合。日常での危険は他の街と大差ない。使徒の攻撃を見ると、シェルターが壊されることはあり得そうだが、実際に自分のシェルターが被害を受ける確率はごく低い。結論。エヴァのパイロットは危険である。

「そう「いい加減にしろよ!!」……」

 私が答えようとしたまさにそのとき、碇君の大声が教室に響き渡った。私も洞木さんも会話を中止して声の発生源の方を見る。

「そんなにエヴァのパイロットになりたいならなってみろよ! お前らに俺の気持ちが分かるもんか。いきなり呼び出されてわけ分からない怪物と戦わされて。好きだといってくれた人を殺して、それで結局・・・くそっ」

 碇君は立ち上がって周りに集まってる人たちに向かって大声で言うと、人だかりを掻き分けて走って教室を出て行ってしまった。
 私も一瞬遅れて追いかけて出て行く。

「あ、綾波さんっ」

 洞木さんの声が聞こえたけど、今は無視する。碇君の精神状態が普通じゃない間に、何か情報を得られるかもしれないから、彼を追いかけるのを最優先にする。意味は分からないながらも、さっきは変な事を口走っていたし。

廊下に出ると、既に碇君の姿は見えなかった。急いで昇降口へと向かい、それから外へ出る。私が校舎の外へ出たとき、碇君は校門のところにいた。学校から出ようとしているようだ。その後ろを一定の距離を空けて、ばれないように尾行する。私の髪の色は目立つので、こんなこともあろうかと用意しておいた黒髪のカツラをつける。……すぐに今の時間に制服を着ていて、眼帯とギプスをしていたのでは、どうやっても目立つんじゃないかと思い当たったけど。
 学校から外へ出た碇君は、ゆっくりした足取りで駅に向かった。どうも精神的な余裕がないらしく、俯き加減にとぼとぼ歩いている。周囲の様子もあまり目に入っていないようだ。追跡する私としては、楽をできて結構なことだ。
 電車では、さすがに同じ車両ではばれるかもしれないと思い、一両後ろに乗った。碇君は席に座ってぼけーっと窓の外の景色を見ていた。何を見ているのか気になって私も碇君の視線の先を見たが、特にどうという事もない街の風景が広がるだけだった。碇君のしぐさから想像しても、特定の何かを見つめているのではなく、ただ流れる街の風景をぼんやりと見つめているだけのようだ。まるで昔失ったものを懐かしむような表情をしながら。
 電車を降りたのは終点で、もう街というよりは山の中だった。碇君は人通りのない道を進んでいく。私も見つからないようにかなり距離を空けて歩く。こんなに人が居ないと、振り返られたときには見つかる可能性が高いが、幸い碇君はまだ半分心ここにあらずといった感じなので、なんとかばれないで後をつけることができた。山の中を走る一本道を、黙々と登っていく。
 第三東京市を一瞥できる展望台に着いたところで碇君は歩みを止めた。体を前に倒して手すりに体重を乗せた状態で呟きを発する。

「まだ、きれいな街のままだ・・・。俺は望んで戻ってきたけど、違うんだよな。前に居た場所とは・・・人とは別の存在なんだよな」

 また意味不明なことを言ってる…。戻って来たって、昔ここに居たことがあるらしいから、そのこと? でも『きれいな街のまま』って? 使徒の残骸や攻撃の痕が残ってるのに、どうしてそんなことを言うの? 碇君の謎は深まるばかりだ。

「いい加減、そのことを認めないと・・・。でも、全く同じ姿をしている人を、同じ性格の人を別人だなんて思えないよ・・・ねぇ、綾波」
「……え」

 思わず声が出てしまった。『同じ姿をしている別人』。碇君はこう言った。そのあとで私の名前を呼んだ。彼は私の秘密を知っている? 一人目の私にあったことがあるの?

「誰!? ・・・あ、綾波。・・・どうしたの、こんなところで」

 漏れた声に気付いた碇君が、振り向いて私を見つける。それから、手で顔をこする。……泣いていた、のだろうか。

「碇君を追いかけてきた」

 事実を告げる。さっきの言葉の意味を訊きたいけど、ここではまずい。周りにいる保安部員の人たちでは、聞いてはいけないレベルの話だ。下手したら処分されてしまうかもしれない。

「え・・・なんで」

 確かに、昨日から今日にかけて口を利いてなかったのに、碇君をこんなところまで追いかけるのは不自然かもしれない。かといって「碇君を調べるため」なんて素直に答えたらこれからの調査に支障が出る。

「……なんとなく」

 結局上手い理由も思い浮かばなかった私は、こんな返答をしていた。私の言葉を聞いた碇君は、ちょっとおかしそうに笑う。

「はは、珍しいね、綾波がそんなこと言うなんて」

 自分でもそう思う。けど、なぜか笑われて胸がムカムカしたので、冷たい口調で告げる。

「碇君こそ、どうして学校を抜け出してこんなところに来たの?」
「うん・・・。ここは思い出の場所なんだ。久しぶりの再会でもまともに挨拶すらしない髭に落ち込んでた俺を、慰めてくれた人との。・・・その人も俺を利用してただけだったけどな。こうしてここに来てるって事は、認めきれないんだろうな、思い出が嘘だったなんて」

 碇司令との久しぶりの再会とは、いったいいつの話だろう。訝しがる私をよそに、いったん間を取って、寂しそうな表情から怒ったようなもの――寂しそうな様子は残っていた――へ変えて、言葉を続ける。

「・・・今日はクラスのバカたちがあまりに無知だったから、同じ空気を吸いたくなくて出てきたんだよ。当てもなくふらついたらここに来たってわけ」
「そう」

 嘘だと思ったけど、問い質しても本当のことは言わないだろう。軽く相槌を打つにとどめた。

「・・・ところで、さっきから気になってたんだけど、その髪、なに?」

 ――そういえばカツラをしたままだった。私はカツラを取って鞄にしまうと、振り返って坂道を下り始めた。

「え、ちょっと、綾波?」
「なに」
「だからさっきのカツラ?は何だったの」
「……」

 しつこい。「碇君にばれないように尾行するために着けていた」なんて言えないから黙ってるのに。これぐらい察して欲しい。
 少し前と同じように碇君の言葉に返事をせず、家へと向かって来た道を戻っていった。でも私の気持ちの中には、いつの間にか碇君に対する怒りの感情が薄れていた。碇君がエヴァパイロットして私より遥かに優秀だという事実は変わらないのに、どうしてだろう。もしかしたら時間が経って冷静になれたのかもしれない。



 学校へ帰る気は起きなかったので、そのまま二人で家に帰った。碇君の鞄は教室にあるけど、学業の優先順位なんて低いので、わざわざ取りに行くこともないだろう。困るのは弁当がだめになる事くらいか。私には一刻も早く彼に聞きたいことがあるので、そんな事には構ってられないけど。
 家に着いてすぐにもさっきの言葉の意味を尋ねたかったけど、碇君は朝ごはんで使った食器を洗い始めてしまって話しかけるタイミングを逸してしまった。……まあいい。急がないといけない話というわけでもない。焦る気持ちを抑えて、自分に言い聞かせる。
 自分の部屋で制服を着替えながら、碇君のことを考えてみる。碇君は初めて会ったときに私と碇君がヒトではない、みたいなことを言っていた。私がチルドレンになるために遺伝子改造を受けたと思っているんだろうと考えていた。チルドレンになるために資質が必要な事は戦自も分かっているはずで、ネルフの生命工学技術と結びつければ私がエヴァに乗るために創られた存在だと判断しても不思議はない。けど碇君はさっき「私と同じ姿をした別人」に昔会ったと言った。私は前に碇君と会った事はないし、それに碇君は「別人」と言っていた。ということは、碇君は私がヒトではない事だけではなく、体がいくつもある事、死んでも呼びの体に魂が移る事を知っていることになる。どうしてネルフの最高機密を知っているのかを問い質さなければいけない。
 Tシャツとスパッツに着替えて席に着く。考え事をしていた間に碇君は昼食の用意をし終わったようで、テーブルの上にはラーメンが入った丼が置かれていた。

「綾波も昼ご飯食べなよ。お弁当あるんでしょ?」

 言われて時計を見ると、既に13時を過ぎていた。あの高台は駅から遠かったので、結構時間が経ってしまったようだ。確かに少しお腹が空いてる気がするので、鞄から弁当箱を出してテーブルに置きふたを開ける。碇君を追いかけるときに走ったので、弁当の中身が寄ってしまっていた。幸いご飯とおかずは別の箱に入っているので、ご飯にしょうゆなどが侵食する事態は避けられた。
 食べる用意ができたところで、碇君に訊きたかった事を訊ねた。この部屋は監視装置がないので、周りを気にせず機密事項も話せる。

「碇君、さっき高台で言ったのはどういう意味?」
「え?なんか言ったっけ?」

 とぼけた演技をしているようには見えない。本当に分からないようだ。

「あなたは『私と同じ姿をした別人に会った事がある』と言ったわ。……私の秘密を知っているの?」

 少し躊躇ってから、核心を訊ねた。ネルフの最重要機密事項。司令の子供とはいえ、本来なら絶対知るはずのない情報。なのに碇君は。

「うん」

 あっさり頷いた。

「綾波がヒトじゃない事、予備の体がたくさんあって死んだら魂が別の体に移る事、今の綾波が二人目だって言う事は知ってる」
「どうしてあなたがそんな事を知っているの。一人目の私に聞いたの?」

 私には碇君と会った記憶はないけど、別の体に移行する際に忘れたのかもしれないと思って訊ねる。

「違うよ、俺は一人目の綾波と会った事はない」

 微妙に含みを持たせてあるような気がする。『一人目の綾波』という言い方は、それ以外の私と以前会ったみたいな印象を受ける。考えすぎかもしれないけど。

「私も、二人目の私もあなたと会った事なんてないわ」
「もちろん。今の綾波と会ったのは、使徒が来た日だよ」

 また……。今度は『二人目』ではなく、『今の』という表現を使った。二人目の綾波レイ、つまり私であるけど、『今の』私ではないということ? ひょっとしたら私が多重人格で、別の人格の私と会った事がある……。いや、これはあり得ない。私が多重人格ならば、ネルフが、私がその事を知らないはずがない。それにたとえ多重人格だろうと、ネルフにばれないように碇君と会ったりするのは無理だ。結局碇君が会ったという綾波レイは誰なの?

「それじゃあ、あなたが会ったという綾波レイはなんなの?」

 駆け引きをするつもりはないので、知りたいことをそのまま訊く。

「うーん・・・。今は教えられない。たぶん信じてくれないだろうし、綾波はまだあいつの事を盲信してるからね」
「あいつ……。碇司令の事?」
「そうだよ。まあ、別にあいつに知られたってどうって事ないけど。とにかく、できれば誰にも言いたくないと思ってる。・・・というより、辛くなるから思い出したくない」

 そう言った碇君の顔は、本当に悲しそうで。私はそれ以上問い詰めることが出来なかった。もともと碇君の不安定な精神状態につけ込んで情報を得ようと思って追いかけたのに、ここで退いてしまっていいのかという考えがちらっと頭によぎる。しかし、もう一度碇君の顔を見て、これ以上訊ねるのはやめた。あまりしつこく訊くと疑われるかもしれないし、なにより今の碇君に追い討ちをかけるようなことをするのは気が引けた。涙こそ流してないが、歯を食いしばって視線は何処か遠くを見つめるその様は、まるで泣いているようだった。……まあ、これからいくらでも聞く機会はあるだろうし、ここで無理して訊いて碇君との関係を悪化させる必要はないだろう。



 次の日の学校。

「あ、綾波さん、おはよ」
「おはよう、洞木さん」

 席に着くと、間を置かずに洞木さんが来たので挨拶をする。碇君の方にも何人か来て、昨日の事を謝っているようだった。

「もう碇君と仲直りしたの?」
「え」

 ――ああ、そういえば昨日学校飛び出すまで碇君と口を利かなかったっけ。
 一瞬何を言っているのか分からなくて戸惑ったが、すぐに昨日と今日の私と碇君の関係を言っているのだと察する。

「ええ、問題ないわ」

 別に喧嘩していたわけじゃないから『仲直り』という表現はどうかなと思ったけど、説明するのも面倒なので肯定しておく。

「そう、良かった。…あの、言いたくなかったら言わなくてもいいんだけど、昨日碇君どうしたの? いきなり教室出て行っちゃって」
「……知らない」

 エヴァに乗りたくて乗ってるわけじゃないのに、脳天気にパイロットに憧れる人たちに腹が立った、ように見えたけど。確証がないので口には出さない。碇君は『クラスのバカたちがあまりに無知だったから』と言ってたけど、これだけでは何のことか分からない。

「あ、そうなんだ。綾波さんにも話さないなんて、よっぽどの事なのかな」

 洞木さんは碇君が私になら話すと思っていたらしい。残念ながら私は今回の事に関して聞いていない。それよりも気になる事――私の秘密を碇君が知っていた事――があったから、碇君にはそっちを訊ねていた。

「そういえば、昨日学校に置いていった鞄を届けに行って、家の前で碇君と会ったわよ。買い物の帰りだって言ってたけど、碇君が自分でご飯作ってるのかしら」

 教室を飛び出したときに、そのままにしていた碇君の鞄をわざわざ届けに来てくれたらしい。昨日碇君が買い物から帰ったときに鞄を持っていたのは、学校まで行ったのではなく洞木さんが渡していたと判明。学級委員長とはそんなことまでやるものなの? 疑問に思いつつも彼女の質問に答える。

「ええ、朝昼晩の三食を碇君が作ってるわ」

 私がそう言った瞬間、洞木さんの動きが一瞬止まる。

「え…。ど、どうして、綾波さんがそんな事知ってるの……?」

 不思議そうな顔をして訊いてくる。

「私と碇君は一緒の部屋に住んでるから」

 私はいつもどおり簡潔に答える。しかしこの言葉のもたらした影響は、私の思っていたのとは全然違うほど大きかった。

「不潔よーーー!」
「なんだと!」
「碇、キサマーー!」
「裏切り者ぉー!」

 なぜか教室中に悲痛な叫び声が上がった。

書いた人:濡留歩
(初2004/08/19、最終2004/08/19)
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